返回信息流河童是日本神话中的传说生物,有鸟的喙、青蛙的四肢、猴子的身体及乌龟的壳,如同
多种动物的综合体。传说其弱点为头顶的碟,只要诱骗河童弯身,让他头顶碟子里装的
水流尽,他就会精力尽失。据说目前日本存有河童的木乃伊。很多日本人相信有河童,
虽然几乎鲜少人看过。
河童(かっぱ)は、日本の妖怪・伝説上の動物、または未確認動物。標準和名の
「かっぱ」は、「かわ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「か
わわっぱ」が変化したもの。河太郎(かわたろう)とも言う。ほぼ日本全国で伝承され
、その呼び名や形状も各地方によって異なる。類縁種にせこ等がいる。
水神、またはその依り代、またはその仮の姿ともいう。鬼、天狗と並んで日本の妖怪の
中で最も有名なものの一つとされる[1][2]。
具体例としては各地に残る河童神社、河童塚(鯨塚、道具塚と同じ)がある。
[編集] 外見
妖怪画で知られる鳥山石燕による河童体格は子供のようで、全身は緑色または赤色。頭
頂部に皿があることが多い。皿は円形の平滑な無毛部でいつも水で濡れており、皿が乾
いたり割れたりすると力を失う、または死ぬとされる。口は短い嘴で、背中には亀の様
な甲羅が、手足には水掻きがあるとする場合が多い。
両腕は体内で繋がっており片方の腕を引っ張るともう片方の腕が縮み、そのまま抜けて
しまうこともあるという、中国の伝承におけるサル妖怪の特徴である通臂とされている
。
肛門が3つある。体臭は生臭い。猿や川獺の様な姿とする事もある。
また大まかに以下の2種類に分けられる。
[編集] 亀形態
体はウロコで覆われ嘴があり、頭には皿を乗せている。頭の皿が割れると死ぬ、または
力を失い衰弱する。背中に甲羅があり手足に水かきがある。爬虫類が原型なのか、絵で
は手の親指がないことが多い。亀のように四本足で歩く絵も見受けられる。キュウリが
好き。
絵に書かれる事は多いが、キュウリが好物という以外には具体的に何をしたという特徴
もない。一般的な河童の想像図に近い反面、目撃談は意外に少ない。
牛や馬の尻や尾にしがみついていわゆる駒引きをするのはこちらの形態のものであると
思われる。ただし、昭和の目撃例においてはこの二つと別の爬虫類らしき生物も目撃さ
れており(後述)、こちらと混同された可能性もある。
[編集] 類人猿形態
全身が毛に覆われている。口には牙があり、鼻の造形がはっきりしない。頭部には窪み
があり、そこに常に水を溜めている。その水が乾くと死ぬ、または衰弱する。手には親
指があり、足には踵がある。相撲が得意でよく人間の子供と遊ぶ。
存在する河童絵の3割程度は猿型だが、中には背中の甲羅が書かれていないものもある。
春に水辺に下りてきて秋に山へ帰るのもこの種類だと思われ、山童やキジムナーも同一
種と推測される。ほぼ日本全土に伝承や目撃例があるが、地域差も多少ある模様。北海
道のミンツチが伝承しかないのに対し、九州、五島列島、沖縄などでは近世の目撃が非
常に多い。
昭和以降の目撃談では遠目に人間に見えるというのもこの種類と見て間違いない。甲羅
を紐で結んでいる絵も多く見受けられるので、甲羅様の道具を蓑の様に使っている人間
であるとも考えられる。ごく稀に甲羅でなく蓑の様な物で背中を覆っている河童の絵も
ある。
九州では人間の歌や落石、倒木、ダイナマイトの爆破音を真似すると言われるが恐らく
身を守るためだと思われる。河童が人間を真似た歌は、節は奇麗だが言葉は不明であっ
たとされている。
[編集] 行動
葛飾北斎による河童川や沼の中に棲む。ただし例外に地行浜(現在、福岡ドームが建っ
ている辺り)の酒飲み河童は、海に住む。泳ぎが得意。
悪戯好きだが悪さをしない妖怪として伝えられる場合もあるが、多くは水辺を通りかか
ったり、泳いだりしている人を水中に引き込み、溺れさせたり、「尻子玉」(尻小玉と
も書く)を抜いて殺す等の悪事を働く。抜いた尻子玉は食べたり竜王に税金として納め
たりする。尻子玉とはヒトの肛門内にあると想像された架空の臓器で、これを抜かれる
と腑抜けになると言われている。この伝承は溺死者の肛門括約筋が弛緩した様子があた
かも玉が抜けたように見えた事に由来する様である(尻子玉は胃や腸等の内臓を意味す
るという説もある)。人間の肝が好物ともいうが、これも前述と同様の溺死者の姿があ
たかも内臓を抜き去ったかのように見えたことに由来するといわれる[3]。
相撲が大好きでよく子供を相撲に誘う。相撲に負けた子供は尻子玉を抜かれる。河童は
大人よりも力が強いが、仏前に備えた飯を食べた後に闘えば子供でも負けないと言われ
ている。
好物はキュウリ、魚、果物。これに因みキュウリを巻いた寿司の事を「カッパ巻き」と
呼ぶ。キュウリを好むのは、河童が水神の零落した姿であり、キュウリは初なりの野菜
として水神信仰の供え物に欠かせなかったことに由来するといわれる[3]。
義理堅く、魚や薬の製法を恩返しとして提供する民話も多く存在する。
鉄、鹿の角、猿を嫌う。潜水時間は河童は12時間だが猿は24時間なので闘うと猿に負け
るという民話もある。シダの葉で頭を撫でると人間に化ける事が出来る。
愛知県北設楽郡三輪村大字川合(現・南設楽郡鳳来町)では「火を貸せ」(ひを
かせ)という河童の怪異が知られている。ある夜、小石久右衛門という男が大字長丘と
川合の間にある亀淵近くを通ったとき、後ろから少女が「久右衛門、火を貸せ」と呼び
止めた。久右衛門は依然からこの付近に河童が出ると聞いていたので、いきなり大煙管
で女の頭を打ちつけた。すると少女の姿は消え、同時に久右衛門は体が痺れて気を失っ
てしまった。やがて朝になってから目が覚め、どうにか家に帰りついた。人々は、亀淵
の河童の仕業であろうと噂したという[4]。
[編集] 起源
歌川国芳画、多嘉木虎之助。田村川で川虎(河童)を生け捕る図河童の由来は大まかに
西日本と東日本に分けられ、西日本では大陸からの渡来とされるが、東日本では安倍晴
明の式神、役小角の護法童子、飛騨の匠(左甚五郎とも)が仕事を手伝わせるために作
った人形が変じたものとされる。両腕が体内で繋がっている(腕を抜くと反対側の腕も
抜けたという話がある)のは人形であったからともされる。大陸渡来の河童は猿猴と呼
ばれ、その性質も中国の猴(中国ではニホンザルなど在来種より大きな猿を猴と表記す
る)に類似する。九州北部では河童の神を兵主部羅神という事から、熊本県のヒョウス
ベもその一派であると考えられる。
河神[5]が秋に山神となるように、河童も一部地域では冬になると山童(やまわろ)にな
ると言われる。大分県では、秋に河童が山に入ってセコとなり、和歌山県では、ケシャ
ンボになる。いずれも山童、即ち山の神の使いである。また、河童は龍などと同じ水神
ともいわれる。つまり、こうした伝承において河童は自然霊の化身であるとも言える。
悪戯好きな性格の自然霊は、子供の様な純真無垢な人の周りに集まり易いと伝えられて
いる。山の精霊とも言われる座敷童子等と同様に、河童も一部の子供にしか見えなかっ
たという談があり、関連性が興味深い。
河童は、間引きされた子供の遺体が河原にさらされている姿との説もある。江戸時代に
は間引きは頻繁に行われており、他の子供に間引きを悟られないよう大人が作った嘘と
も言われている。
頭の皿については、民俗学者の折口信夫が『河童の話』で興味深い指摘をしている[6]。
皿などは食物を載せる為の物で、つまりは生命力の象徴である。これに関しては椀貸し
淵の伝承が興味深い。膳椀何人前と書いた紙を塚・洞・淵などに投げ込ん
でおくと翌日には木具が揃えてあった。だがある時借りた数を返さなかった日から貸し
てくれなくなった、というようなものである。貸し主ははっきりしないのが多く、竜宮
・河童というのもあるが狐という所もある。ただ類似の説話に川上から箸や椀が
流れてきたという隠れ里にまつわる話やそれに関する迷い家(マヨヒガ)のケセネギツ
(米櫃)[7]、淵に薪などを投げ込むと恩返しで富貴になる話などがあり、これらのこと
からは椀類が生命力から富の象徴になったこと、椀が水と縁の浅からぬ物であることが
分かる。
また折口は壱岐の殿川屋敷で女が井戸に飛び込み、底に椀が沈んでいるという話も紹介
した。これについては古くから水の神に捧げる嫁或いは生け贄や、水に関わる土木工事
での女の人柱が多く伝承されている事を挙げ、平戸に伝わる女河童の例で、ある侍屋敷
に下女がいて皿を一枚落として破ったので主人が刀で斬りつけると海に逃げ、その姿を
見れば河童であったという話を引いている。
『西遊記』に登場する沙悟浄は、日本ではしばしば河童に似た姿で描かれる。詳細は沙
悟浄#日本の沙悟浄を参照。
[編集] 現在の河童
浅草かっぱ橋の河童像現在の日本でも極たまに目撃談があり、ツチノコと並んで日本を
代表する未確認生物とも言える。
また、その類の生物としては珍しく、愛くるしい姿で描かれる事が多い。水辺に住んで
いると伝えられるためか、河川や湖沼の水質汚染防止及び環境保護のマスコットキャラ
クターにされることが多い。
[編集] 呼び名
各地方毎に様々な名で呼ばれている。
「河童」の訛りとしてガワッパ、ガワワッパ、ガラッパ(熊本県八代地方、鹿児島県川
薩地方)、河太郎の訛りとしてゲータロ、ガタロウの他、水蛇の訛りと思われるメンド
チ、メドチ、ドチガメ等がある。
また、これらとは全く別系統のものとして、高知のシバテン(芝天狗の略)、愛媛県宇
和地方でのエンコ[8]、岐阜県大野郡や和歌山県でのガオロ[9]、岡山県(主として津山
市)でのゴンゴ、対馬(長崎県対馬市)などでの河虎(かわこ)[10]、大分県玖珠郡で
の川者(かわのもの)[11]、熊本県飽託郡(現・熊本市)での旅の人(たびのひ
と)[12]、鹿児島県トカラ列島のガウル[13]がある。
[編集] 各地の伝承
[編集] 筑後
福岡県の筑後川付近には「河童と地元民との揉め事」や「河童族同士の戦争」の伝説や
「河童に因んだ地名」等比較的年代が明確ではっきりした記録が数多く残っており、少
なくともその当時「河童」と呼ばれたものが川辺付近に多く住んでいたと思われる。
特徴は全身が毛に覆われている「類人猿形態」。筑後地方の河童は100匹以上の集団生活
を営んでいたらしく、川の上流から海の傍まで幾つかの集団に分かれて生活していたら
しい。更には人語を理解し、人間との複雑な契約も行っていた事から、河童は少数民族
ではなかったかとも思われる。昭和初期まで河童を見た人が比較的多く居るのでこの時
期に絶滅したのかも知れない。
「水に入る前にはタケノコを食べる」「水に入る前には仏前飯を食べる」といった河童
除けの風習は久留米市の水天宮付近が起源とされる。毎年8月には、水の祭典という祭り
が行われる。これは、元々河童を崇めるために始まった祭りである。
久留米市民図書館では、河童をモチーフとした置物があり、久留米市ではカッピースタ
ンプというものがあり買い物をして集めるものである。
[編集] 牛久沼と小川芋銭
茨城県の牛久沼には、「悪さをする河童を捕まえ松の木に括り付けたが、改心したので
逃がしてやると、河童が草刈りをしてくれた」、「河童の手を拾って河童に返したとこ
ろ、河童が万能の膏薬の作り方を教えてくれた」等、河童にまつわる伝説が多く残って
いる。
生涯のほとんどを牛久沼のほとりで暮らした日本画家の小川芋銭は、河童を好み多数の
河童の絵を残した事から『河童の芋銭』として知られている。晩年には画集『河童百図
(1938年)』を出版している。
[編集] 実在性
[編集] 河童のミイラ
現在河童のミイラや河童の骨等と呼ばれる物は、多くは江戸時代のミイラ造形師が他の
動物の部品を組み合わせて作った物である。好んで用いられたのはエイと猿、また、梟
の頭部を使った物もある。また河童の手首のミイラと呼ばれる物のほとんどはニホンカ
ワウソの物である。
福岡県の北野天満宮には「河伯(かはく)の手」と呼ばれる河童の手のミイラがあり、
901年に菅原道真が筑後川で暗殺されそうになった際、河童の大将が彼を救おうとして手
を切り落とされた、もしくは道真の馬を川へ引きずり込もうとした河童の手を道真が切
り落としたものとされる[14][15]。
[編集] 未確認動物としての河童
河童は未確認動物であるという考え方もある。この視点で見る河童には人間や猿と酷似
する種類(哺乳類)と巨大な蛙のような種類(両生類或いは爬虫類)等が存在するらし
く、どの種類も背丈は30センチメートルから150センチメートル程度であり、成人した人
間を超える事はない。河童の伝承の数だけ全く異なる未知の水棲生物が存在していた可
能性も捨てきれない(またそれらが既に絶滅寸前のニホンカワウソと同じ環境に生息し
ている事実は河童もまた絶滅種もしくは絶滅寸前なのかもしれない)。
また爬虫類形態は昭和頃の目撃例では皿や甲羅がない個体が多く、宇宙人の典型的外形
となったグレイと酷似する為、目撃者がグレイと誤認したのではないかと見られる事例
が「新耳袋」に掲載されている。河童はアメリカのドーバーデーモンや蛙男、チュパカ
ブラ、またアクア説の渚原人とも特徴が類似している。
尚、人間の尻小玉を抜いたり、牛馬を狂わせたりするといわれるような行動については
UMAでいう河童では分かっていない。茨城県牛久市では河童の目撃情報があり、警察が駆
けつけると水銀を含んだ河童の足跡と見られるものが残っていた。江戸時代の書記等に
も目撃談が記されている。
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Japanese机器人发帖
河童(转载)
hanks
2008/10/9镜像同步1 回复
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: 河童是日本神话中的传说生物,有鸟的喙、青蛙的四肢、猴子的身体及乌龟的壳,如同
: 多种动物的综合体。传说其弱点为头顶的碟,只要诱骗河童弯身,让他头顶碟子里装的
: 水流尽,他就会精力尽失。据说目前日本存有河童的木乃伊。很多日本人相信有河童,
: ...................
累死了 终于找到这个图了 河童装