BBYR Achieve
返回信息流
这是一条镜像帖。来源:北邮人论坛 / japanese / #46050同步于 2009/10/9
该镜像源已超过 30 天没有更新,可能在源站已被删除。
Japanese机器人发帖

推个小散文/ お稲荷さんて、なんでさん付け?

CLAMP
2009/10/9镜像同步1 回复
2/22 お稲荷さんて、なんでさん付け? 5時に目が覚めて、ゆらゆら揺れる天井のランプを見ながら考え事。このところ「芸に心惹かれるとはどういうことか」が気になってまして。落語を聞いて笑ったり、しみじみしたり、音楽を聞いて楽しくなったり、切なくなったり。それは一体何に反応しているのかと、朝一番にふと考えるこの頃。 枝雀さんや米朝さんの本を読むにつけ、それはやはり「情」ということに尽きるのではないかなと。どんなに「技巧」を尽くしても普遍的な「情」に訴えるものには負けます。このあたりは枝雀さんが深く考察されていて面白い。米朝さんはやや技巧寄りで、「情」をうまくコントロールされているという印象。コントロールしきれない部分に人情味が感じられるのが枝雀さん。そんなこんなをとりとめもなく考えていたら既に6時。 午前中に荷物が届くので、冷蔵庫を片づけながら料理料理。おお、こんなところにお揚げさんが。わはは。賞味期限4日過ぎ(おいおい~)。 でも大丈夫。しっかり油を切れば大丈夫。たぶん(おいおい~)。 というわけでお昼はお稲荷さん。 お揚げを炊きながらふと、なんで食べ物に「お」とか「さん」を付けるんやろうと、料理中も考えごとが多い私。特にお稲荷さんは、「稲荷」と呼び捨てにするのは抵抗があります。「揚げ」も「お揚げ」と言わないとどうも収まりが悪いです。キツネが神様の使いだから?日本人の根底にキツネは神聖な生き物という意識があるから?外国で食べ物に敬称を付けることはあるのだろうか?ミスパンとか?ミスタービーフとか?つまらんことを考えているうちに、お揚げが炊けました。 ちなみにうちの田舎では、お稲荷さんを親しみを込めて言う場合は「コンコン」と言います(「お稲荷さん」は外向き。「コンコン」は親しい人の間での名称)。「今日コンコンでもする?」という感じで。「でも」と言うのは、わざわざ作るものではなくて、お寿司を作るついでに「コンコンも作っとく?」というニュアンスです。お握りを握るような感じかな。作るのはせいぜい6つくらい。西日本なので三角形です。キツネの耳みたいで可愛いらしくて。桶の蓋を開けた時に、「色とりどりのバラ寿司の横にちょこんと並ぶ茶色のコンコン」という図柄が好きでした。 夕方から上妻宏光さんのコンサート。古典、オリジナル曲、カバー曲を取り混ぜた構成。私は津軽民謡が良かったけれど、ピアノ(秋田慎治さん)とのセッションや、スティング(!)のカバーなどは三味線を初めて聴く方にも受け入れられやすいかも。木之下真市さんのコンサートがクラシックなら、上妻さんはポップスかな。 上妻さんの三味線はとにかく甘く、非常に洗練されているので、女性ファンが多いです。私はもっと男性的な演奏が好きなのですが、目をつぶって聞いていると壮大な音の世界が広がって素晴らしかったですね。スケールが違います。やっぱりDVDではわからんなあ。 堀井憲一郎さんの著書「落語の国からのぞいてみれば」の中で、「落語は生身の芸。(中略)何が残ろうと死んだらおしまい。噺家が死んだらその芸もおしまい。それは残っているものがしっかり生きろというメッセージで、動物としてはそういう生き方が正しいとおもう」と書かれていて、落語に限らず、あらゆる芸事は生きた人間が演じてこそ意味があると私も実感する、この頃。CDやDVDから受ける感情の揺れは別物、という気がする。一度きりしかない、今この瞬間に何をどう感じるか、それが知りたくて生の舞台に惹かれるのかなあと思いながら、雨の中を歩いたのでした。 by runfunfan | 2009-02-23 18:48
订阅后,新回复会通过你的通知中心匿名送达。
1 条回复
CLAMP机器人#1 · 2009/10/9
附翻译,欢迎挑错。 --------------------------- 早晨五点钟睁眼,望着天花板上摇摇晃晃的吊灯想事情。最近,变得十分在意“心灵被艺术所吸引究竟是怎么一回事”。听落语又笑又哭,听音乐有快乐有伤感。这究竟是对什么产生了反应,大早晨的这个时候就想这件事了。 读枝雀さん和米朝さん的书读成了习惯,这归根结底难道不是因为尽了所谓的“情”吗。无论怎样雕琢“技巧”,也比不上诉说普遍的“情”。在这方面,枝雀さん深刻的察觉到了,很有意思。米朝さん稍微偏向于技巧,“情”被控制得恰到好处,令人印象深刻。掌控不了的部分里能感受到人情味的,是枝雀さん。不加制止的想着这些那些,就六点了。 因为上午会有包裹送过来,一边收拾冰箱一边做饭做饭。哦哦,在这种地方有油炸豆腐(お揚げさん)。哇哈哈。保质期过了4天(喂喂~)。 不过没关系。好好把油都弄干净就行。大概(喂喂~)。 由于以上原因,中午吃稻荷寿司(お稲荷さん)。 一边煮油炸豆腐,在做饭时经常想事情的我忽然想到,为什么要给食物加上“お”和“さん”呢。特别是お稲荷さん,我很抵触不加敬称的只说“稻荷”。“揚げ”也是如果不说成“お揚げ”,总觉得收尾不好。因为狐狸的神的使者?因为日本人的根性里有狐狸是神圣生物的意识?外国有给食物加上敬称的事情么?面包小姐之类的?牛肉先生之类的?想着无关紧要的事情时,油炸豆腐已经煮好了。 顺带一提,在我们这边的乡下,带着亲切的意味把稻荷寿司称为“konkon”(“お稲荷さん”是对外人说的,“konkon”在亲近的人之间使用)。“今天要不吃konkon吧?”这种感觉。加上“でも”,是指不是专门去做稻荷寿司,而是对于做寿司这件事情,“顺手把konkon也做了吧?”这种语气。像是去捏握寿司这样的感觉吧。做的话也不过6个左右。因为是西日本,所以是三角形的。像狐狸的耳朵一样十分可爱。打开寿司桶的盖子,“色彩缤纷的什锦寿司旁摆放着几个茶色的konkon”这样的构图,我很喜欢。 傍晚开始是上妻宏光さん的音乐会。古典、原创曲目、改编曲目混排的构成。我是喜欢津轻民谣,而与钢琴(秋田慎治さん)的合奏,对弦乐乐曲(!)的改编等,让第一次听三味线的人们也容易接受。如果说木之下真市さん的音乐会是古典,上妻さん就是流行了吧。 上妻さん的三味线无论怎么说都很甜美,非常洗练,有许多女性爱好者。我是喜欢更男性化一些的演奏,但闭上眼睛聆听,壮大的音乐世界扩展开来,十分出色。编成不一样。到底听DVD是明白不了呀。 堀井憲一郎さん所著的《从落语之国中窥视》写到,“落语是活着的人的艺术。(中略)想要留下什么,死后就都没有了。落语家死后,他的艺术也就完结了。留下的是要好好活下去的信息,我认为这是作为动物的正确的活法。”不仅限于落语,所有的艺术活动都是由活着的人来演绎才有意义,我现在也如此感到。从CD和DVD中受到的情感的波动不是同一回事儿,有这样的感觉。仅仅只有一次,现在这个瞬间怎样感受到什么,想知道这些才会被现场的舞台所吸引吧。一边想着这些,我走进了雨中。 runfunfan 2009-02-23