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这是一条镜像帖。来源:北邮人论坛 / japanese / #4082同步于 2006/5/16
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台南振興、懐メロひと役 歌(4)◆台湾 ジュディ·オング記

parchangel
2006/5/16镜像同步0 回复
台南振興、懐メロひと役 歌(4) 2006年04月25日 ◆台湾 ジュディ?オング記念館に夢 〈希望の鐘をつけば、祈りが心に生まれる。失敗するなんて思わなければ、いつもうまくいくでしょう〉 ジュディ?オングさんが歌った「祈り」(台湾名?祈祷)は、台湾の中年層以上にとっては青春時代の名曲だ。原曲は、日本のフォークグループ「赤い鳥」が70年代初頭に歌った「竹田の子守歌」である。 「耳にしたその瞬間に、ものすごくいいメロディーだと感じました」とジュディさん自身もほれ込んだ。台湾で彼女が歌った中でも最大のヒット曲に。京都地方の民謡が基になった歌だが、多くの人は「日本の歌」とは特に意識しないで聞いている。 ジュディさんの出生地、台南県の蘇煥智県長(50)にとって「祈り」は、国民党独裁時代の70年代後半、台湾大学生として弾圧を受けながら続けた政治活動の思い出とつながる。 「集まりの後などで何人かの仲間と一緒に歌うと涙が自然に流れてくることがあった。希望がやがては、かなえられるという歌詞に、勇気づけられた気がしたなあ」 歌詞は〈世界に暗闇がなくなるように、幸せが花のように開くように〉で終わる。合唱すれば美しいハーモニーの生まれる韻を踏んだ歌詞は、ジュディさんの父翁炳栄さんが書いた。 時は移り、台湾では90年代に民主化が実現。80年代に「反体制弁護士」になっていた蘇さんは93年、民進党の立法委員(国会議員)に転じ、01年、県知事にあたる県長に当選した。 励ましてくれた歌と歌手への恩返しのように、蘇さんは地元に「ジュディ?オング記念館」を建設する計画をいま進めている。台南出身のジュディさんの母、劉雪娥さんとも話し合い、日展の特選を受賞するほどのジュディさんの版画を展示し、歌を流し、出演映画も上映する構想という。 記念館には、日本植民地時代の約100年前に建てられた精糖工場の建物がすでに選ばれた。従業員食堂だった建物で、赤れんがと白壁のコントラストが懐かしい感じを醸し出している。「記念館」に、一体どんな思いを込めるのか。 「私は記念館を国際文化村の顔にしたい」と蘇県長。広大な製糖工場跡地全体を「芸文中心(芸術文化センター)」として、様々なイベントを催し、海外からも芸術家を招きたい――。将来図を語る時、その表情は生き生きとする。 「文化」をテコに地域興しを図る政策。だが、地元には異論もあるようだ。 ◆独立派の地盤 中台交流 台南は、米やサトウキビ、果物栽培が中心の農業県だった。若者の流出が続き、台湾でも最も高齢化が進んだ地域になっていた。 だが最近は少し様子が違う。90年代後半に作られた「科学工業園区」と呼ばれるハイテク工業団地に、半導体や液晶パネル関連の台湾の大手企業や日系企業が進出。工業園区で働く従業員はあっという間に4万人になった。 「私は県長を支持するが」といいながら、台南県社区営造協会の呉長庚さん(54)は「絶好の機会を生かして工業団地をもっと造成し、道路を作れという意見は強い」と説明する。「文化にこだわる蘇県長の行政を、理想的すぎるように見る人も多い」 蘇県長は昨年末に再選された。陳水扁(チェン?ショイピエン)総統の出身地でもある台南県。与党?民進党の現職首長なら悠々と勝利するはずが、得票率の差わずか3%での辛勝。 それでも蘇県長は動じない。「働く場所の確保はもちろん重要だ。でも、歌があり絵があり、緑があって初めて、人は生きることを『楽しいな』って感じるはずだろう」 「国際文化村」と周辺の自然と合わせた観光コース作りも進められている。将来、観光業を台南の主産業のひとつに育てる狙いが込められている。 「中国大陸から観光客を迎えることも私は賛成です」と蘇県長はいう。南部は「台湾独立派の地盤」。独立派は「中国にのみ込まれる」ことを警戒しがちだが、台湾だけに閉じこもっている時代はとうに過ぎたという冷静な分析がある。 昨年末、中国?浙江省杭州市からの視察団を受け入れた。地方自治の研究者たちだが、受け入れ担当となった呉さんもこの3月に杭州を訪問。この27日からは新疆ウイグル自治区の研究者たちもやって来る。「独立派の地盤」でも中台交流は着実に進んでいる。 「台湾人や台湾文化が何かをよく自覚していれば、『のみ込まれる』と怖がることはない。要は、自分の核となるものをちゃんと持っていることだ」と蘇県長。台南出身のジュディさんの作品を並べる記念館は、「台湾文化」について考える手がかりにもなるとも期待するのだ。 ジュディさんは2歳で両親と一緒に日本に渡った。8歳からの1年間、マンゴーやバナナがふんだんに実る台南で暮らしたこともある。 「台南のことを思い出すと、疲れている時でも心がふわーっと広がる。安らぎを求める人が来る記念館になってくれればと、楽しみにしています」 もちろん「祈り」も流れる記念館。地元では、来年末の開館を目指している。 ◆〈キーワード〉台湾での「日本の歌」 日本統治の影響もあって、第2次大戦後も日本の歌が北京語や台湾語の歌詞を付けられて定着することが珍しくなかった。国民党独裁時代、米国などに亡命して台湾独立運動をしていた人の愛唱歌は「たそがれの故郷」で、原曲は三橋美智也の「赤い夕陽の故郷」。またいまでも夜間に日本の演歌や懐メロを専門に流すラジオ局がある。 ジュディ?オングさんの台湾名は翁倩玉。王貞治監督らと並び、台湾ゆかりの「日本での成功者」の一人とされる。 (永持裕紀)
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