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这是一条镜像帖。来源:北邮人论坛 / japanese / #60895同步于 2013/3/15
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中国国歌 日本との縁…聶耳(1912~1935)玉渓

ayucat
2013/3/15镜像同步1 回复
中国国歌 日本との縁…聶耳(1912~1935)玉渓 その広場に着くや、思わず見上げてしまった。木々が茂る小高い丘の上に、バイオリンを弾く男性の巨大な銅像がそびえる。台座を含めた高さは11メートル。中国国歌を作曲し、23歳で世を去った音楽家、聶耳ニエアル(じょうじ)だ。「彼は郷土の誇り」。像が置かれている雲南省の玉渓で人々に聞くと、だれもが得意げな顔になった。 省都の昆明から車で1時間ほど。人口約230万人の玉渓は、緑にあふれた落ち着いた街だ。「聶耳の故郷」を掲げ、聶耳音楽広場、聶耳公園を整備。父、聶鴻儀の実家を「聶耳故居」として保存、専門の記念館、図書館もある。 厳密に言うと、玉渓は父の故郷になる。漢方医だった父と母、彭寂寛が昆明に移り住んだ後、聶耳が生まれた。ただ、幼い頃から両親の故郷である玉渓に伝わる民間歌劇「花灯」に親しみ、笛や二胡にこなどの楽器を習った。「彼の作品には花灯の影響が強くうかがえる。だからこそ、玉渓が彼の音楽の源、故郷なのです」。地元の聶耳研究家、崎松さん(75)が教えてくれた。 音楽に夢中になる一方、4歳の時に父を病気で亡くし、貧しい暮らしを強いられた聶耳は革命運動にも強い関心を持っていた。師範学校在学時には共産党の青年組織に入り、ビラまきなどを手伝っていた。 18歳で上海へ。そこで音楽の方向性を決める事件に遭遇する。1932年、日中両軍が衝突した第1次上海事変。歌劇団でバイオリンを学んでいた聶耳は、人々が逃げまどう悲惨な光景を目の当たりにした。強い憤りから党組織の慰問団に参加し、前線にも赴いた。この頃から労働者や大衆、抗日の歌曲を手がけ始めた。 35年の抗日映画「風雲児女」の主題歌「義勇軍行進曲」もそのひとつになる。「立て、奴隷となることを望まぬ者たちよ」。この呼びかけで始まる歌詞を読んだ聶耳は、自ら作曲を買って出た。力強いリズムで多くの人々を奮い立たせたこの曲が、49年に新中国が成立した後、国歌に選ばれた。 世界的に有名な曲だが、楽譜が日本で仕上げられたことはあまり知られていない。聶耳は共産党と敵対した国民党の追及を逃れるため、日本経由でソ連や欧州に渡ろうとした。初稿を書き、修正を加えようとしていた35年4月に船で上海を離れ、東京に到着。急いで完成させ、上海へ送った。その後、東京で演奏会などに足を運んだが、7月に旅行で神奈川県藤沢市に立ち寄った際、鵠沼海岸で遊泳中におぼれ、短い生涯を閉じた。 記念碑に平和への心 戦後の54年、藤沢市民の呼びかけで鵠沼海岸に聶耳の記念碑が建てられた。台風で流されても、寄付を募って建て直した。その話が中国に伝わり、藤沢市と昆明市は友好都市になった。昨年は生誕100周年の記念行事も行われた。 「抗日の歌をつくった聶耳の記念碑を建て、毎年追悼してくれる。これこそ戦争への反省と平和を愛する日本人の心を表している」。崎さんはそう感じている。(文と写真 牧野田亨) 聶耳 本名は聶守信。幼い頃から音感に優れ、耳が鋭かったことから「耳さん」のあだ名がついた。それで「聶耳」と名乗るようになったと言われる。代表作「義勇軍行進曲」のほか、「港湾労働者の歌」「新聞売りの歌」など労働者を題材にした作品も多く、人民の音楽家として親しまれている。昆明市にも銅像があるほか、昨秋には生誕100周年を記念し、北京?王府井にも巨大な像が建てられた。 (2013年3月15日 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/otona/trip/earth/20130308-OYT8T00806.htm?from=osusume&google_editors_picks=true
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1 条回复
daisukigaara机器人#1 · 2013/3/15
去江之岛的时候看到了纪念碑~